沖縄の若手実力派DJとしてジワジワと注目を集めている、KIRAYAMA(ex DJきらきら富山さん)が、この度、DJミックスを発表する。
しかし、まだ多くの人にとって謎に包まれているであろうその経歴についてインタビューを行った。
★音楽を好きになったきっかけ、最初に好きになった音楽を教えてください。
最初にクラブ・ミュージック的なものに目覚めたのは、小学校6年生の時にゲーセンで見た「beatmania」です。ビーマニでクラブ・カルチャーやダンス・ミュージック、DJ、というか、暗くて怪しい場所で大人が音楽で踊る、という営みがあるのを知りました。
更にその前の原体験として「パラッパラッパー」があり、そのパラッパラッパーの試遊機が置いてある近所のCDショップ(その名も「GROOVE」)には、ナゼか当時のテクノの12inchやIDM/音響のCDが入荷されており、小学校後期、中学生の時期はここで大変お世話になりました。「ナゼか」というのは僕の生まれ育ちである富山県高岡市は少なくともサブカル文化/音楽的にかなり遅れた、いわゆる田舎であり、タワレコが出来るのも僕が高校生の時にようやく、という感じだったりするので。
「GROOVE」は、こういったサブカル/音楽/クラブ・カルチャーと、田舎生まれ育ちの僕との唯一の接点であり、自分史的にかなり貴重なお店でした。
時系列が前後しますが、初めてレコードを買ったのも「GROOVE」で、リリース当時に入荷されていた、KAGAMIさんの「Tokyo Disco Music All Night Long」です。
VIDEO 同時期に自宅のセガ「ドリームキャスト」に内蔵されていたブラウザで、初めてインターネットに触れ(1998年頃)、以降、電話代の請求が月3万円を超えたりして両親からこっぴどく怒られながら中学生を迎えます。中学2年生で自宅にデスクトップPCが導入され(2000年頃)、以降もインターネットを回遊しながら色んな音楽を漁るようになります。
中2~中3にかけてMODシーンにハマっており、サノケイタの兄貴「yuta」が、個人サイトでかなりハイクオリティの楽曲を複数アップしており、同時に日記も書いてらしたと思うのですが(うろ覚え)、後に知り合うこととなるサノケイタの兄とはもちろんツユ知らず、彼のおすすめする新譜アルバムや楽曲に大変影響されていました。彼のおすすめで買った記憶があるのは電気グルーヴ「イルボン2000」、砂原良徳「LOVEBEAT」、UNDERWORLD「EVERYTHING,EVERYTHING」です。どれも、当時ほぼ同時期に出た新譜だったかと思います。
さらに当時、河野未彩さんや植本一子さんがほぼパーティーの写真だけを淡々とアップするブログをやってらして、「RAW LIFE」、「HEY MR.MELODY」など、関東のアンダーグラウンドな音楽シーンを知り、相当な影響を受けました。当時は今のようにDJが簡単にDJ MIXをアップ出来る環境がなかったのもあり、音源やMIXではなく、ヴィジュアルの凄みだけで相当魅入られるものがあり、今につながるDJ感や理想のパーティー像はお二人のブログの写真で、ほぼ決定付けられました。
中学から高校にかけて、ほぼ学校には通っておりませんでしたので、修学旅行の積み立て金(親の金ですね……)を利用して「WIRE」に行ったり、当時まだ苗場で開催していた「METAMORPHOSE」に行ったりしていました。中でも2006年の「RAW LIFE」は特に記憶に残っています。10代の人格形成期をほぼ自宅で過ごしていたため、ある一定の期間を通して通ったりコミットしていた実在の場所やパーティーがなく、現実世界でのいわゆる原体験を見出しづらいのですが、「RAW LIFE」は数少ないリアルでの原体験のひとつだったかと思います。
★地元の富山から、沖縄に進学することになると思うのですが、その経緯は、どういう感じなのでしょうか?
高校を留年し(18歳)、なんとか翌年に卒業したものの、特に当てのないまま浪人させてもらい(19歳)、心身ともにふらふらしていたのですが、沖縄の大学に進学した妹が富山に帰省し、再び沖縄に帰る際に家出みたいな形で、妹に着いて沖縄を旅行(? 家出ですね)したのが沖縄への進学を決めるに至ったきっかけです。
一週間の滞在の内で、当時那覇のおもろまちに移転していたクラブ「火の玉ホール」に感銘を受け、オーナーの喜一氏に身の上相談をさせてもらった所「じゃあウチで働かせてやるから、こっちに進学してこい!」と仰って頂き、沖縄への進学を決めた次第です。
VIDEO ★沖縄ではサノケイタさんと一緒にイベントなどをしてたようですが、そのころの話を教えてください。また、KIRAYAMAさんはどんなDJをしていましたか?
2007年に沖縄の総合大学に進学し、同年夏に開催された「Message of Love」という屋我地島という離島での野外イベントで、DJの「KANSAI」と知り合った事をきっかけにDJを始めて、最初の頃は彼の実家の屋上や僕の宜野湾のワン・ルームの自宅などにDJブースを組んで、ごく身内(ほんと4人ぐらいの)で飲みながらDJをする、みたいな事をやっていました。
翌2008年に、那覇にあった「イエスウルトラ」という当時の沖縄県立芸大生が4人で経営していた面白いバーがあり、そこで当時芸大の1年生だったサノケイタと知り合います。
僕が中学生の時にMODシーンにはまり、多大な影響を受けたトラックメイカー「yuta」と、大学で進学した先の沖縄で偶然に知り合い後に一緒にイベントを企画する事になるサノケイタが実の兄弟である事が分かった時はかなりの衝撃でした(笑)。
サノケイタの第一印象は音楽好きの変な奴で、とにかくアッパーで面白い奴だったのですぐに仲良くなり、サノの下宿先で7インチレコードを切り刻んでカットアップ・レコードを作ったり、一緒に沖縄市の「音洞」や那覇の「火の玉ホール」に遊びに行くようになりました。
ほどなくして「イエスウルトラ」でイベントを共催する話が持ち上がり、「パニック論」というイベントを2度ほど企画しました。初回のゲストは現在那覇の熱血社交場で偶数月第一土曜に開催されている「Ku'Damm」のKIMさんで、2回目のゲストはオオルタイチさんです。
「パニック論」は当時お互い関西のゼロ年代のようなアンダーグラウンドなバンドカルチャーと、ALTZさんの「Flower of Life」に象徴されていたDJシーンの混交具合に影響を受けていたので、ノイズ奏者やノーウェーブのようなバンドと、DJが交互に登場するようなイベントを目指していました。
VIDEO その後サノは地元岡山に戻り、僕は沖縄に住み続けながらサノはトラックメイクを、僕はDJを続けて行くことになります。サノが沖縄を離れてしばらく経ちますが、なんだかんだ年に一回ぐらいのペースでサノが沖縄でライヴをやったりして会っているかと思います。
DJ的なスキルや選曲観は自覚する限りで今と基本的にあまり変わりませんが、当時はいわゆるクラブプレイが必要となるイベントのレギュラーがなかったので、今よりもクラブ系のトラックはかけなかったように思いますし、ほぼ繋がないDJでした。
基本的に好きなものを好きなタイミングで掛けているだけなのですが、DJ的な物心が付いた頃から、はっきりと影響として自覚するのはDJだと威力、バイオマン、置石、DJ大爆笑(と彼が昔沖縄で企画していたイベント)、Theo Parrish、D-styles、です。
影響を受けた物事からはやや離れますが、地元富山から沖縄に越して来て現在に至るので、東京や大阪などの都会に暮らした経験がなく、つまり都会で遊んでいた経験がほとんどないのですが、憧れだけは人一倍あったので、まだ実際に見ぬ妄想上の憧れのDJや音楽をずっと追い求めているうちに今のようなDJになっていったのかもしれません。
あとやはり、沖縄の気候や湿度にも少なからず影響を受けていると思います。
★現在、沖縄の「on」というDJバーの店長をしていますが、「on」はどんな所ですか?
「on」は、2014年3月にオープンした那覇のモノレール美栄橋駅近くにあるDJ BARです。
オーナーは「りんご音楽祭」を主宰しているdj sleeper氏で、私はオープン当初より雇われ店長をしております。
地上4階、三角形のガラス張りの開放感のある物件で、キャパは小さくて、30人ぐらいです。
ガラス張りなので、オールナイトのイベントで朝を迎えた時はかなり気持ちいいですし、その特性を活かした「morning on」という、日曜の朝7時からパンとコーヒーで音楽を楽しむ朝活イベントは大変ご好評を頂いています。
定休の月曜日以外は毎日開いており、お酒も基本500円なので、県外から沖縄へ来る人も遊びに来やすいかと思います。県外からのイベントの持ち込みや、DJを「on」でやりたいという方はもちろん相談に乗りますので、お気軽にご連絡頂ければと思います。
★今回のミックスについてコメントをください。
DJとしての活動が丁度10年ぐらいなのですが、MIXCDをプレスして、ジャケットを付けて頂いて、レコード・ショップに流通させて、というのは今回初となるので、私の活動の集大成というと大袈裟ですが、ベストテイク的な内容になったかと思います。
誤解を恐れずに言えば、いわゆるBGMになり辛い60分間であり、気軽に聞き流しやすいものとは距離を置いた音楽でありますが、興味を持ち買って頂いた方には必ず何らかの「しこり」というか、引っ掛かりを与える事を意識して作りました。そういったいわゆる売れ易いもの、聴かれ易いものとは遠い今回のDJMIXを、素晴らしい環境でリリース出来たことに大変感謝致します。
(2017.04.11)
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2016年の夏にサウンドクラウドにアップされた、KIRAYAMAのミックス。
artist: KIRAYAMA
title: On A Subtropical Triangle
定価 ¥1,296(税込)
2017年4月上旬発売予定
label: NOPPARA-REC
catNo: NR-11
format: Mix CD
file under: Leftfield/Techno/Balearic
DJ Mix:DJ KIRAYAMA
Recording at Record & Music Bar「on」(OKINAWA)
Mastering:YAKENOHARA
Art Work:tactsato(ifax!)
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DJきらきら富山さん改め「KIRAYAMA」が、新作MIX『On A Subtropical Triangle』を、やけのはら主催レーベル、NOPPARA-RECよりリリース!
エクスペリメンタルを軸に、ヒップホップ、ジャズ、プログレ、ワールド・ミュージック、テクノ等、一見想像もできない、結びつかない点と点を、時に艶やかに、時に天才的なひらめきで引き寄せ織り交ぜていく、ドープな底なし沼もしくは楽園のような、前人未到レフトフィールド・クロスオーバー・ミックス大名作!
「The Trilogy Tapes」的なロウ・テクノも、「Music From Memory」的なバレアリックも内包した、甘く危険な亜熱帯~桃源郷音楽集。
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DJきらきら富山さんを経てのKIRAYAMAさんへの改名、そして、待望お披露目ミックス発売おめでとうございます。途中、気を抜くと、ハッ!いったいこれ何のミックスを聞いてたんだっけ?と一瞬訳がわからなくなってしまうようなミステリアス魅惑のセンスにして掴みどころのない感覚というかミックス力というか、、、気付くと前後不覚の聞き位置にさせられてしまうKIRAYAMAさんならではの眼力セクシー・ソウルフルな世界観とドープなエレクトロニック・リズムが自然と繋がり変容しながら、飄々とした独自のグルーヴ世界をユニーク艶やかに作り出してくれております。序章、はじまり。かさねまして発売おめでとうございます。
(COMPUMA)
”きらきら富山さん”とはめちゃくちゃ自分が不安定でめちゃ凶暴な時、沖縄に住んでた時、自分のクラブほぼ原体験期からの盟友(今でも)。同じ左利き。
フロアを常にユーモア、時にシリアス、稀にブチ上げるそのスキルは、出会った当初からすでに群を抜いて持っていた彼。その世界観は確実に大山倍達に近づいている。
金壺でも一緒に行って飯おかわりしながらこのミックスを何度もリピートしてしまいそうだな。
きらきらよ永遠に。
(KEITA SANO)
都会のショーウィンドウや夜景のなかにあるキラキラではなくて、川の中にある砂金のような、よくよく目を凝らさないと見えないKIRAKIRA、おみそれしましたKIRAYAMAさん!
(okadada)
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DJ KIRAYAMA (Record & Music Bar “on”)
富山出身、沖縄在住11年目。86年生まれ左利き。2007年、沖縄の伝説的レイヴ "message of love" で同年代の仲間と出会った事をきっかけにDJ活動を開始、以来、沖縄市コザの "音洞" や那覇市 "熱血社交場" を始めとする県内各所のクラブ、ライヴハウス、海岸や路地などでプレイを重ねる。2014年3月より那覇市美栄橋 "Record&Music Bar on" 店長。
www.on-okinawa.info/
soundcloud.com/ishikur0/
www.facebook.com/yuki.ishikuro
twitter.com/ishikur0
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[2017/04/11 00:00]
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